●1959~1963:学生時代(Student period) |
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修行時代 私の独立は31才の時で、比較的に早かったが、それでも修行時代はとてつもなく永くかんじていた。 それは学生時代時代から毎日徹夜のような状態で、建築設計に没頭していたからかも知れない。 同期の連中にも、建築の虫と言われていた。 建設会社を営んでいた親父の影響もあり、高校時代に建築家になる決心をした。ヨルン、ウォッツンのシド ニーオペラハウスやオスカー、ニーマイヤーのブラジリアの自由さに心をときめかせた。当時の日本の建築が まだ戦後のバラック建築を引きずっていたからかも知れない。 |
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学生時代1959~1963 | ||
●学生時代はただただ建築設計の練習に明け暮れた。課題をこなすでけでも 大変だったが、それではものたりず、独立直後の黒川紀章さんの事務所でアル バイトをした。早く実際の建築設計に関わりたかった。黒川さんの事務所は正 式な所員はおらず、みな早稲田の学生のアルバイトだった。黒川さんもまだ学 生気分が残っており、学校の延長気分で毎日明け方近くまで働いた。 建築の考え方の基本は黒川さんから教わった。卒業設計でプレファブ住宅を テーマにしたのも、黒川事務所でプレファブ住宅を設計していたからだ。 | ||
フランク.ロイド.ライト時代1963~1964 | ||
●ライトのタリアセンでは建築設計を学ぶというより、設計以前の人間の生活を学んだ。料理、掃除、パーティー準備、ホスピタリティー、薪割り、大工、石工、庭師、農民、等々すべてを経験した。 敷地も無限大と思えるほど広く、今迄の設計はまず敷地図を描くという概念は粉砕された。ここでの生活体験が、独立直後いきなり55万坪のつま恋の企画設計を以来された時も広さへのとまどいはなかった。 |
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ミノル.ヤマサキ時代1964~1966 | ||
●ミノル.ヤマサキからは徹底的に建築設計の実践を学んだ。 ワールドトレードセンターの設計を中心に、クライスラースタイリングビル、M&T銀行ビル、ハワイカイ開発計画などに一番下っ端のデザイナーとして携わった。全体と部分の同時設計、プレゼンテーションテクニック、など実務はここで学んだ。 ヤマサキは設計チェックに模型を重要視しており、毎日が模型作りだったが、模型作りは得意だったので助かった。左の写真はワールドトレードセンターの模型だが、天井を壊して設置した。 |