集合住宅 代表作品 (Apartment house Selection)

  ●1969:広尾タウンハウス(HIROO TOWN HOUSE)

●1983:紅仙ガーデン(KOSEN GARDEN)

●1988:中央ハウス
(CHUOU HOUSE)

●1989:ビラクリス
(VILLA CHRIS)

●1995:けやき坂
(KEYAKIZAKA)

【日本の共同住宅事情】

集合住宅は何故かマンション呼ばれるようになり、現在の日本では都会だけでなく地方でも住居の大きな部分を占めている。

マンションは戦後住宅公団が建設した共同住宅を、民間不動産会社が分譲住宅として売出すために、大袈裟につけたキャッチコピーで、内容は公団住宅と大差はなかった。東京オリンピック時が始まりだったが、その後急激に増加した。

公団住宅は、戦後の住宅不足を解消するために、狭い面積に最低限の生活を営む機能を確保するための住居で、本来急場凌ぎの設計だったが、戦後の食生活がパンに変わったように、住居も洋風化の美名のもとにこの矮小な住宅が日本の近代化の象徴にまでなった。

○LDKなどと呼ばれる住戸はダイニング、リビング、キッチンに個室をいくつか加えたことを意味していたのだが、住居の内容をを表現する言葉になり、人の生活を条件づけるまでに蔓延してしまった。

本来賃貸の仮住まい的であったこの公団様式が、オリンピック特需と不動産業者の怠慢によって、分譲住宅という、賃貸に比べてより長期の居住が前提の住宅にまで、持込まれてしまったからだ。

豊かになった現在でさえ、新聞の折込広告に、4LDKの豪華マンションなどと宣伝している。広さと内装材料はいくらか良くなっているが、基本思想は戦後のままで、人がどのように住むべきか、という根源的な視点から見つめている建築は、ごくまれにしかないのが現状である。

【集合住宅は個人住宅の集合体】

私は共同住宅は個人住宅の集合体と考えている。集まることによる、土地価格の負担軽減、維持管理の容易さ、などの利便性を確保しながらも、個人住宅の個性は確保する。

このための方法を独立以来模索してきた。紹介する作品は一例だが、個人住宅の集合体、という考えは表現できたと思っている。

 

 

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