【リゾート設計の始まり】
リゾート施設の設計は、私の建築設計活動の中で重要な位置を占めている。
私がリゾート施設の設計を手がけるようになったきっかけは、ヤマハ社長の川上源一氏(故人)との出会いだった。当時私は独立直後の28才で、ヤマハのマリーナ施設の研究に協力していた。
川上氏は音楽、スポーツ、文化を包含したリゾート施設を全国的に展開する構想をもっていた。
沖縄の本土復帰にともない、地元から、沖縄にヤマハのリゾートを建設してほしい。との要請があり、川上 氏の現地視察に、マリンレジャー担当として八重山地方に同行したのが、最初の出会いだった。
この視察中に、沖縄ですでに始まっていた、農地開発などによる環境破壊や、台風被害をさけるため伝統的民家を解体し、コンクリートブロック造の米軍基地風の建物に変えられつつあった。
観光立県と言いながら、貴重な文化、風景を破壊する現状に愕然とし、川上氏とこれから建設する施設の理念を夜を徹して語り合った。伝統文化の継承、環境の保全、建築と自然の融合、等々である。
この理念はその後のヤマハリゾートの基本理念として、後の施設にも継承された。
最初の施設設計は沖縄ではなく、静岡県のつま恋だった。
「教養ある若者男女のための遊びの施設を考えてくれ。」が唯一の注文だった。企画は私と昨日までヤマハの トランペットを売っていた、私と同年の福島正義氏と二人で行った。担当重役がきまり開発室ができたのは
その後であった。
【リゾート建築は大きな住宅】
リゾートという言葉がまだ日本には定着していなかった時代に、どのようなリゾートライフを提供したらいのか、が悩ましい問題だった。当時観光といえば、熱海などの温泉に団体で行くのが定番だった。個人いう概念はあまり定着していない。
施主のオーダーが教養ある若者男女のための施設なら、教養はさほど無いが、自分が欲しいもので良い だろう。団体行動はいやだ。親しい仲間と楽しみたい。などを考えた。
仕事を離れて家族や友人とともに、時を過ごす。これは住宅であり、別荘なのだ。そこで土木造成を始め 建築設計でも、住宅的スケール感の維持を大前提にした。
土地造成の痕跡を感じさせない、建築は自然、地域の環境に融合させる。材料は自然素材を極力使う。 などどれも住宅設計と共通する。
建築の原点は住宅にある。を実感している。